CALENDER
カレンダー
- HOME
- カレンダー
そもそものアイデアは大阪にあった
弊社はそれまで天金具に特化していましたが、環境問題への対応から得意先の強い要望があり、ヒートプレス方式のカレンダー加工機の導入を検討するようになりました。
平成4年春、数種類あったヒートプレス機の中から一番弊社のニーズに合いそうな機械を導入していた大阪のA紙工で実際に稼働しているところを、渡辺通商の社長と見学させていただき、担当者に話を伺うことができました。しかしこの機械の導入は弊社の採算ベースにはのらないという判断をせざるを得ませんでした。
この見学の少し前に、大阪のAエンジニアリングのA氏から見たことがないカレンダー(後にエコエース方式となる)が届いていたので、我々は早速A氏と面会し、話を伺うことにしました。加工機の見学を希望しましたが、A氏は「まだアイデアだけで機械はできておらず、手作りのカレンダーを全国の主だったところに送ったが、反応したのは、御社だけです。」とのことでした。
この機械が実際にできれば得意先の要望にも合致するので、ぜひ進めてほしいとの話をし、エコエース方式のカレンダー加工機の製作が始まりました。またこの機械の販売代理店には、渡辺通商をかなり強く勧めたのですが、(渡辺通商の社長はとてもカレンダーの事に詳しい人なので、)H製紙の子会社のH産業が販売代理店となりました。
そこから、Aエンジニアリング、H産業、弊社と弊社の得意先のM印刷(2部上場)が1台ずつ導入の前提で、M印刷の役員の方と何度も大阪を訪ねましたが、こちらの要望通りには機械が出来上がりませんでした。1年強を費やしましたが、残念ながらエコエース方式のカレンダー機の導入を断念することとなりました。
弊社が断念したところで、H産業も手を引いたため、代理店も変わりました。それからしばらくしたところで機械は一応の完成を見たようでした。ただ、弊社の要求する精度のものとは程遠い機械でした。
その後、光文堂、須賀ミシン等の協力によって何とか使えるようになったようですが、さて、現在、何台が生き残っているのでしょうか…
渡辺通商
渡辺通商は、特許や技術的に実現可能か等の調査を経て自社開発に乗り出しました。何とか目処が立ったとの連絡を弊社がもらったのは、Aエンジニアリングの機械をあきらめた直後でした。すぐにこちらの細かい要望を伝えて、出来上がりを待つことにしました。 有り合わせのパーツで作った試作機(0号機)を確認して、1号機の購入契約をかわしました。
平成6年7月に1号機が完成したところで、テスト製本を行ったところ、非常にうまくいきました。次に、丁合済みのカレンダーを持ち込み、本番のカレンダーの加工を渡辺通商の水戸工場で行いました。(これが日本で一番最初のタンザックカレンダーです。) 改善修正点をピックアップし、改修された後、当社への導入となりました。
平成9年 、ベルトで押して行く搬送方法から、リニアレールによる押さえながら1セクションずつ送っていく方法に切り替わって、精度が著しく向上しましたので、2号機を購入しました。
平成13年、丁合機との連動機が完成し、バーコードで丁合のチェックができるようになったため、 1号機に、丁合機と連結器を増設して、ライン化しました。
平成18年、丁合機にカメラが付けられるようになったため、3号機に導入しました。(初期のもの) 現在のものは使用するカメラメーカーを替えたため、初期のものより、誤作動が減って、信頼度がさらにアップし現在に至っています。
平成21年、名入れカレンダーの店名管理用のカメラも完成したため導入いたしました。
平成22年、新型の短冊フィーダー(追積タイプ)ができたので、これを1台に設置。
令和元年、新型であるタンザック620を1台導入しました。
タンザック、良品の見分け方
カレンダー本文がきちんとそろっていますか?
12月が1~2mmほど伸びていませんか?
左端にミシンの切れ目が来ていますか?
通常、切り取りやすいように、ミシン位置を調整します。裏から短冊を引いたときに簡単にはがれませんか?
ホットメルトが充分に入っていないと、弱い品物になってしまいます。短冊が斜めになっていませんか?
短冊とミシン目が平行ですか?
短冊の左右からカレンダー本文が出てないですか?